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”「浴びる遊び」と「探す遊び」の違い” サカナクション山口のインタビューより

みなさんは「サカナクション」というバンドをご存知でしょうか?

 

サカナクションは2005年に結成され、20代30代の年齢層を中心に人気を集めているロックバンドです。

 

有名な曲だと、「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」「新宝島」などがありますが、いずれの曲も本気のこだわりをもって実験的に創られているのが特徴です。

魚図鑑

そのサカナクションの象徴的存在で、主に作詞作曲を担当しているボーカルの山口一郎さんのインタビュー動画が非常に興味深かったので、ここでシェアしたくなりました。

 

下がその動画です。

www.youtube.com

この動画では「僕らがU30だった頃の話」をテーマとして、さまざまな山口さんの考えが語られています。

 

①なぜ上京をしてきたのか?

②サカナクションの原点とは?

③どうやって「売れた」のか?

④挫折をどう乗り越えた?

⑤20代へのメッセージ

 

という5つの話題のテーマの中で、山口さんが語ったのは主にサカナクションがヒットするまでの挫折とその解決」です。

 

彼がサカナクションでヒットするまでには、様々な葛藤や挫折がありました。

 

サカナクション山口のルーツ

(山口一郎さんの真意とは若干ズレがあるかもしれません。ご留意ください)

 

北海道で生まれ育った彼は、文学や音楽の中でも「美しくて難しいもの」に価値を感じながら育ってきました。

 

 周りの人間が「楽しくて分かりやすいもの」への刺激を浴びるように求める中で、彼は「美しくて難しいもの」を創ったり、その良さを見出すことに喜びを感じていたのです。

 

彼は前者をマジョリティの「浴びる遊び」と呼び、後者をマイノリティの「探す遊び」と呼んでいます。

 

彼はマイノリティの中で「探す遊び」をすることに喜びを覚え、その自己表現としての音楽を続けるために、上京することにしました。

 

膨大な数の人間がいる東京という大都市では、たくさんの「探す遊び」をするマイノリティがいるはずという期待感のもとで。

彼が東京で感じたこと

しかし、現実の東京は彼が期待していたものとは全く違いました。

 

膨大な数の人間はむしろ、メディアなどによって画一化された価値観を浴びるように楽しむマジョリティを形成していたのです。

 

マイノリティとして、マジョリティへのカウンターであるはずのロックバンドが、テレビ番組に出て、マジョリティに迎合している…。

 

そんな現状に彼は絶望します。

 

東京にいて、音楽で生きていく(ライスワーク)ためにはマジョリティ側に合わせた音楽をつくるしかないのか?やりたくない事なのに?

 

そんな葛藤が彼を苦しめました。

マジョリティの中でマイノリティとして生きる

苦しめていた彼を救ったのは一つの考えでした。

 

「クラスの中の一人に深く突き刺さるものをつくる」

 

たとえば、高校のクラスの30人の中で20人に評価される音楽をつくるには、マイノリティである自分を捨てなければいけない。でも、1人か2人に深く刺さる音楽なら、やり方を少し変えればできるかもしれない。その1人か2人が全国に広がれば、それはマジョリティになる。

forbesjapan.com 引用元

 

彼はその考えに至ることで、マジョリティの中でマイノリティとして生きることを可能にしたのです。

 

これがサカナクションとしての原点でもあります。

僕が気になったこと

この話を聞いて最も印象に残ったのは、2つの遊びについてです。

 

「浴びる遊び」「探す遊び」…。

 

山口さんは最近の世の中では「浴びる遊び」が増えて、「探す遊び」が消えつつあり、それが非常に残念だとおっしゃっていました。

 

 あまりインタビュー中には語られなかったこの2つの遊びの違いについて触れてみたいと思います。

2つの遊びの違い

2つの遊びの違いは、受動的であるか能動的であるかの違いであると思ってます。

 

受動的である遊び、つまり「浴びる遊び」は、他人が用意した刺激を享受する遊び

 

能動的である遊び、つまり「探す遊び」は、自分が楽しく感動したことやものを追求する遊び

 

音楽で言うと、

「浴びる遊び」が楽しませるための音楽を、そのまま享受するだけなのに対し、

「探す遊び」は一見良さが分からない難しく美しい音楽の良さを探し続ける遊びとなるでしょう。

 

また娯楽も「浴びる遊び」「探す遊び」に分けることができると思います。

「テレビ」「ゲーム」「掲示板」「遊園地」などは「浴びる遊び」となるでしょう。

逆に、「絵を描く」「読書」「土遊び」などは能動的行為が主体になるので、「探す遊び」ですね。

「探す遊び」は創造と結びつく

常に身に着けているスマホでできるゲーム、テレビ、SNS、遊園地etc...。

 

この情報化社会では、「浴びる遊び」が溢れています。

 

そして「浴びる遊び」が溢れていることにより、「探す遊び」が消えかかっています。

「遊びを探す」ことに気が付かないくらいに、「浴びる遊び」で充足してしまうからです。

 

しかし今の時代「探す遊び」の重要性ははるかに高くなっていくと思います。

 

「探す遊び」でどうやったらこの遊びが面白くなるか、どうしたらよいものができるかと考え抜くこと今の人類の最も重要な能力である創造と直結します。

これからの「探す遊び」

もしかしたら、AIが僕らにとって代わるかもしれない時代。

 

今までは必要だったあらゆる能力が、これからの時代では不要になっていくかもしれません。

 

そんな中で、既存のデータに縛られず新しいモノを生み出していく創造の力は最後までAIに超えられることはありません。

 

「じゃあどうやってその力を持てばいい?」

その疑問に答え、創造性を育めるのが「探す遊び」ではないでしょうか?

 

すべての遊びを、「探す遊び」にするのは不可能だと思います。

 

しかし、既存の「浴びる遊び」の中に、少しでも「探す遊び」を取り入れることができたのなら。

 

例えば、

・今まであまり良いと思ってなかった音楽の良さを感じようとしてみる

・観ている映画の裏にあるメッセージ性を読み取ってみる

そういった「探す遊び」ができたのなら。

 

僕らに創造という力が身につき、未来が変わるような気がするのです。